


国指定重要文化財
HORAISAN TOSHOGU
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樹齢370年の杉木立に囲まれて鎮座する御神殿
鳳来山東照宮

御由緒
慶安元年(1648)4月、徳川三代将軍家光公が日光東照社(正保2年、宮号が宣下され、東照宮となる)に社参のとき、兼ねて命じていた「東照大権現縁起絵巻」を改めてご覧になられ、造営を命じられました。その第一巻に『東照大権現(家康公)のお父君である松平広忠卿とお母君(於大の方)がお世継ぎの出来ないことを憂い、ご一緒に三州煙巌山鳳来寺峯薬師へ参籠され御祈願なされたところ、その証があって間もなく於大の方が身ごもられ、その後天文11年(1542)壬寅年12月26日にご出産あそばれたのが竹千代君(家康公)であられた。そして母君は御生涯、岡崎甲山寺の常公房を名代として鳳来寺峯薬師に遣わして報謝の誠を奉られた。』との伝えに感銘された家光公は鳳来寺に家康公をお祀りする東照宮を建立することを思い立たれ、老中阿部豊後守忠秋に命じられました。そして慶安4年(1651)辛卯年9月17日に落成創祀されました。
歴史
鎮座地鳳来寺山は高僧利修仙人が703年に開山したところとして古来奥三河の霊地として信仰されていました。今から1500万年以前の大昔、火山活動により誕生した鳳来寺山は極めて変化に富んだ岩山で、当時、桐・杉の大木が生い茂り瑞鳥鳳凰・仏法僧の啼くところで勝岳山、桐生山、霧生山、煙巌山ともいわれましたが、現在は鳳来寺山と呼ばれています。「鳳来寺」の名は第42代文武天皇が重い病気にかかられた時、草砥鹿公宣卿を使者とする一行が都に上り「快癒祈祷」を続け病気全快に至ったそうです。そのお礼に命名されたと伝えられています。
岡崎城主松平広忠卿夫妻が、鳳来寺に参籠祈願して竹千代君(家康公)をもうけられたという所伝により、慶安元年浜松城主太田備中守資宗を造営奉行とし、御普請御手伝方吉田城主小笠原壱岐守・西尾城主兵部少輔・横須賀城主本田越前守を配し慶安4年に社殿落成に至っています。御神体は、江戸城内にお祀りしてあった紅葉山東照宮より御宮殿・随身・狛犬とともに奉還され、荘厳な遷宮祭が執り行われたと伝えられています。
東照宮は、巨巌をぬって登りゆく石段1400余段の幽遼境地に建立されています。江戸時代には幕府の直轄工事として幾多の修理を重ねると共に昭和・平成と大改修を行い、現在に至っています。
御祭神 源朝臣 徳川家康公
合祀 山王権現、熊野権現、白山権現
国の指定重要文化財
本殿・拝殿・幣殿・中門・水屋・石棚・石燈籠(中門前両側の一対)・板木2枚(建立時の証)
宝物
神祖御画像(巻物)・関ケ原陣御佩用の太刀(豊後友行作)四代将軍から献納されたもの

年中行事
1月1日 元旦祭 新年を迎え、今年の繁栄を祈る。
2月17日 祈年祭 春(年)の初め、五穀豊穣と国の
繁栄を祈るお祭り。
4月17日 春の例大祭 家康公が御逝去された日。
東照宮にとって一番重要とされるお祭り。
6月17日 祈願祭
9月17日 創建 記念祭 慶安4年(1651年)、
鳳来山東照宮が創建された日。
11月23日 秋の例大祭 新穀を神前にお供えして、
五穀豊穣を感謝するお祭り(新嘗祭)。
世の平和と繁栄を祈ります。
12月26日 生誕祭 家康公がお生まれになった日。
天文11年(1542年 )
12月29日 除夜祭・大祓の儀
毎月17日 月次祭

秋の例大祭


浦安の舞
長篠陣太鼓奉納
祈祷のご案内
鳳来山東照宮では、皆様方の「諸願」を東照公にお伝えすべく、下記のような特別祈祷を承っております。
(祈祷料は、1件、5,000円以上です。)
お申込は、鳳来山東照宮社務所までお願いします。
祈祷内容
子授、安産、交通安全、家内安全、厄除、商売繁盛、無病息災、車祓い、健康、合格、縁結 他
御朱印
鳳来山東照宮では御朱印を授与しております。社務所にお声がけください。

一般御朱印帳
オリジナル御朱印帳

授与品
家内安全・出世開運・商売繁盛
厄除・学業成就・金運・縁結び

当社の御神木に宿ると云われる「木の精霊」の一部を封じ込めたもので、「鳳来山東照宮」の御力(パワー)を授かる御守りです。

木札・紙札
木霊守(こだままもり)
寅童子

徳川家康の御誕生は、天文11年12月26日、寅の年・寅の日・寅の刻でした。誕生と同時に鳳来寺峯薬師に祀られていた十二神将(干支の神様)の内「普賢菩薩真達羅大将(寅童子)」が忽然と姿を消してしまいました。
元和2年(1616)家康公が御逝去された時、「真達羅大将」は峯薬師のもとに戻られていたと言い伝わっています。このことから家康公が真達羅大将の生まれ変わりだといわれる由縁です。
災難にも負けず、常に起き上がる縁起物(起き上がり小坊師)として大正中期から作られ授与していました。戦争中は途絶えたものの戦後、復活したものです。
◆子宝 ◆受験 ◆出世 ◆開運 などの御利益がある置物です。
境内の案内
境内案内図

中 門
(国指定重要文化財)
拝殿・幣殿
(国指定重要文化財)

江戸初期の建築技法を残す入母屋造りで各所に彫刻が残されています。拝殿と幣殿の繋ぎ構造は、背面切妻造りで拝殿に接続し貴重な建築様式で現存しています。

江戸初期の建築様式を残す桧皮葺建造物で、一戸平唐門を有しています。左右の透塀は、各折曲の25間構造で桧皮葺となっています。
本 殿
(国指定重要文化財)
江戸初期の建築技法を残す入母屋造りで各所に彫刻が施されています。
内部にはもう一つの社、御宮殿(江戸城紅葉山御殿から奉還)があります。


御宮殿
(狛犬・随身)
愛知県指定文化財
水 屋
(国指定重要文化財)
切妻造りで桧皮葺の屋根構造で、四隅柱には修理時の組継跡が見られます。内部の水盤は、花崗岩を使用し全面には「井伊兵部少輔藤原直好」の名があります。

番 所 跡
江戸時代には石段左側に番所がありました。参拝には通行手形(許可証)が必要とされ、許可された人のみが、紙の緒に履き替え拝殿前まで進み、参拝することが出来たのです。
